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自分を見失いどこかに置き忘れてしまったいつも孤独な男の blog

気分循環型障害、発達障害、友達いない、フラフラが止まらず挙動不審な40代のボッチが思ったことを書いてます。

実家にかえることにした。親のスネを齧らせてもらいます


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派遣会社での仕事をやめて、1人でいても部屋をウロウロしておかしな状態で、知り合いもなくもはや東京にいる意味もないので、結局、実家にもどることになった。

 

とはいえ、大量の本は捨てられず、荷造りもままならず、母親がきて手伝ってもらい、別の日にレンタカーを借りて乗ってきてもらい、両親と兄弟に引越しを手伝ってもらった。

 

私は力が無く体が動かず、ろくに使えない。兄弟がいなければどうしようもなかった。自分のことなのにほぼ頼って助けてもらった。モノはある程度運んだが、まだ残ったままだ。

 

一日では終わらないほどためこんでいた。読んでもいない本がたくさんあり、両親から捨てろと言われたが、捨てられない。かなりの冊数で本代で数十万円はつかっていたようだ。

 

ところで、薬代がやすくなる自立支援受給者証の更新と障害者手帳の申請をするための書類を病院でうけとり、保険センターへ申請をしにいった。

 

申請がとおれば私はとうとう障害者として生きていくことになる。

 

手帳をとることによるメリットは、都営地下鉄やバスの割引、美術館などが無料で利用できたり、さまざまな公共料金が割引になったり、所得控除が受けられたりするらしい。

 

ほかに障害者雇用での就職や転職活動ができる。私はこれを主な目的として手帳をとることにしたわけだが、自分で自分の首をしめるようにおかしな奴、変な奴にしてここまで落ちてしまったという思いもある。

 

だがしかし、もうあまりにもダメすぎて、もはや障害者としてやっていくしかないと思い申請したわけだ。

 

でも、本当はそんなことをする以前に、大切ななにか、人として当たり前にやらなければならないことをなにがしろにしてきてしまったようにも思う。

 

それでももはや自分では気づかないほどわからなくなってしまった。ああ、親は歳をとったが変わっていない。街も人も変わっていないというのに、自分自身が真っ暗でいじめられっ子のようになってしまった。

 

ちょっと待って、ちょっと待って、いつもそう言っているまに物事は進んでいってしまう。自分の中に信念も考えもなくなにも決められず、人に勧められるがまま流されているだけだ。

 

はたから見たらたいしたことではない、どうでもよいことを大袈裟に考えてブルっているだけ、周りはどう接していいのかわからず心配してしまう。

 

父親は性格だという、本当はそうではない。だけど人からみたらただの性格の問題で片付けられてしまう。あれほど電話で訴えたのにまるでわかってもらえない。

 

もう、やめてくれ。眠っても眠っても眠りの中に逃げても、朝が来れば、頭が痛くなるほど眠って起きられず、やばいやばいと苦しくて起きる日々。

 

実家にいる、母親は朝早くから洗濯をして洗濯ものを干す、朝食を作る、掃除をする。父親も昔とずいぶん変わって犬の散歩に行ったり朝食の準備を手伝ったりする。

 

朝、昼、晩と自動的に食事がでてきて、お金を払わず美味しい料理をお腹いっぱい食べられる。洗濯もしない。食器もあまり洗わない。アイロンもほとんど母親がやってくれる。

 

なんて楽過ぎて贅沢な生活なのか。いい歳して私は完全に親のスネをかじっている。もう私は人に偉そうなことや自慢することなどなにもできない。

 

夕食のとき、両親と三人でテレビを見ていた。鶴瓶の家族に乾杯という番組で、女優の天海祐希がでていた。とても魅力的で素敵な人だと思った。

 

番組の中で学校帰りの素朴な高校生に会い、今死ぬ気でやるかどうかで将来が変わってくるからとアドバイスをしていた。

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ちょうど53分からのところだ。その通りだ。分かっていた。だのに自分は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。耳が痛い。全てのことが耳が痛い。

 

けど、閉じこもってでてこれなくて受け入れられない。一日が終わる、何も目的もないまま時間だけがすぎる。

 

ワクワクすることもドキドキすることも大笑いすることもなくなった。恐いとか気持ち悪いという感覚すらない。暗くて重い気持ちのまま、両親にも背負わせてしまった。

 

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。と思ったところでもはやどうにもならない。こんな変な奴になってしまったのは、私が変な宗教に関わってしまったからなのかもしれないと思ったりする。

 

いや、その前からおかしかったのだ。ときは一瞬で過ぎてしまった。取り返しのつかないことにしがみついてもどうしようもない。

 

実家の駅におりたはずが、二つ手前の駅で降りてしまっていることにエレベーターに乗って改札のそばにきて気づいた。それから次の電車がくるまで寒い中、しばらくまった。

 

なぜ、本を読んだり音楽を聴いていたり眠っていたわけでもないのに、降りる駅を間違えたのだろう。私は昔からこのように思い違い、勘違いが非常に多くて困ってしまう。普段から現実感が乏しいのだ。

 

自殺する勇気は到底ない。酒も飲めず、アルコールに逃げることもできず、誰かに話すこともできず、精神科の先生は薬を処方するが、薬を飲んだところでどうにもならないことはわかっている。

 

ただの甘えでしかない。自分だけが悲劇のヒロインだと思ってんじゃねぇ、みんな誰でも不安や心配事などもっているんだ。目を覚ませといわれるだけだというのも分かっている。

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