yd’s blog

ヤバイヤバイ、常にヤバい。頭が悪すぎて、まともな思考が働かない。

会話が不自由。ことばで話せないので、せめてブログにつづっています

ボランティアに登録した。Necco(ネッコ)カフェに行ってみたけど、何しに行ったの?


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少しでも人のために何かできたらいいなと単純に思い、ボランティアの登録をしてきた。何のとりえもないけど、高齢者の話し相手ぐらいはやれるだろうと思う。

 

だけど、登録はしたものの、実際に行ってみるのは中々おっくうだったりしてしばらく先のことになりそうだ。

 

ところで、職業訓練校に通っていたとき、授業がおわったあとに、大人の発達障害者が集まるNecco(ネッコ)

neccocafe.com

というカフェに行ってみたことがあった。

 

 その頃、私はADHD(注意欠陥・多動性障害)の薬を飲み続けていた。

 

このカフェに行ってみようと思ったのは、たしか精神保健福祉センターというところに電話で相談をしたときに教えてもらい、興味をもったからだ。

 

実際に行ってみるとそのときは意外と人がいて、それぞれのテーブルに2~4人が盛んに会話をしていた。

 

私はコーヒーとケーキのセットを頼み1人ぽつんと座っていた。そこにいる人たちは普通と変わらなく見える人もいれば、ぱっと見でちょっと一般的なひととは違った人もいた。

 

見た目がすこし変わっている。話しの内容はアスペルガーやADHDなどで仕事を何度も断られたとか、障害者であるがゆえの生きづらさについて、包みかくさず活発に話がされていた。

 

だんまりしている人もいたが、ボソボソ話す人とかはいなかった。話しの内容は明るくないけど、ふんいきは明るい感じで積極的に意見交換しているようにみえた。

 

私も話をしたかったけど、誰かに話しかけることもできず、見ず知らずの自分に誰も話しかけてもこず、結局、コーヒーを飲んで出てきてしまった。またいつもの、何しに行ったの?という感じだった。

 

発達障害者といっても色々な人がいるとは思うが、ネッコカフェにいた彼らをみた限りでは、私は完全な発達障害というのとはちょっと違うのではないかと思った。

 

あそこにいる人たちは世間では偏見の目で見られてきたのだろう。きっと辛い目に何度もあって生きづらさを沢山かかえてきたと思う。

 

人は一人では生きられない。同じ辛さをもった人たちが集える、ああいう場は本当に貴重なのだと感じた。

 

ただ自分はあそこにいっても孤立するだけで、何が変わるわけでもないと思うのでもう行くことはないと思う。

 

ADHDの薬を半年以上、飲んでいたが、結局こうかはわからず今は飲んでいない。

 

その後、他の病院で処方されたちがう薬も飲んだけど変化はなかった。そして今は薬を飲むのをやめた。

 

私にないのは感情だ。怒ったり笑ったり、覚えたりすること。パッパと何かを要領よくこなすこと、誰かとコミュニケーションをとることができない。会話もまともにできない。

 

会話を理解できないということは、誰かと何かを共有したり心を通わせたりすることができないということだ。このまま死ぬまでずっと同じなのかと思うと生きているのが辛くなる。

 

それは薬でどうこうなるものではないと思う。変な奴、明らかに変な奴だ。でももう変な奴でも良いさと開き直りたい。

 

まともなことができない、この暗さから抜け出せずいつもこまっている。

 

若さとは見た目よりもはつらつとしている人をいう。私はずっと前からすでに年老いた老人のようだ。なにか楽しみをつくりたい。

だけど結局、みんな中途半端になってしまう。

 

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