yd’s blog

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自分を見失いどこかに置き忘れてしまったいつも孤独な男の blog

気分循環型障害、発達障害、友達いない、フラフラが止まらず挙動不審な40代のボッチが思ったことを書いてます。

自分が選択したものに後悔ばかりしている


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同級生から紹介された創価学会のクソ野郎を信用してそいつの会社に入ったら、ひどいブラックな会社だった。

 

仕事は電動ドリルやハンマーを使った肉体労働。社員はその社長の同級生や学会信者ばかり。自称元不良の上司はいつもえばりくさってばかりいた。

 

休みは仕事がないときで、仕事があるときは一日何現場も行かされて徹夜もさせられた。いつまでたっても時給で900円ぐらいしかもらえなかった。少ない収入をやり繰りする知恵もなくて昼飯を食べる金がない日もよくあった。

 

労働基準法も糞もなかった。社員寮という名の4畳半のぼろアパートに住まわされ、読みもしない聖教新聞をとらされ、たまっていく新聞がじゃまで捨てるのも面倒だった。

 

敷金礼金、家具などの入居したさいの費用と毎月の家賃、さらには学会への献金費用まで給料から天引きされて、手元には少ない額しか残らなかった。

 

元ヤクザだという社長は背中に刺青を入れていて、夏でも海でも長袖シャツを脱がなかった。そいつにひどい暴言をはかれ、車に乗ったら突然殴られ、ドライバーで頭を殴られたことも2度あった。頭から出血した。

 

駅で公明党を応援するプラカードをかかげたり、選挙活動もさせられた。選挙のときは投票場まで車で連れて行かれ、推薦しているた人間や公明党に入れるよう指示された。自分は反抗心から共産党に入れていた。

 

創価学会の幹部でもある社長は、学会活動と仕事で日々忙しくしていた。私は会社に入れさせるまで親身になって話を聞いて面倒見てくれていたようにみえたその社長の本性を知り、尊敬どころかけいべつしていた。

 

家具や入居費用を立て替えてもらった手前、辞めたくても辞められずに働いた。ふさぎ込んでいた日々だった。4年間ずっと耐えていた。ただの真面目なバカでしかなかった。何も考えられず言われるがまま、されるがままだった。

 

こんな生活、生かさず殺さずじゃないかと思っていた。

 

なんでこのようなまるで北朝鮮に拉致された人のような状態に自分の身を置いてしまったのか。逃げてしまえばよかったのに逃げずに4年感も過ごしてしまったのか。自分の中に辞めて何をすればいいというのもなかったし、仕事は続けなければいけないという思い込みがあった。

 

しかし結果的に私はもっと楽しめた若い時間をブラックな人間と会社に費やしてしまった。まともな会社に務めた同級生らは彼氏や彼女、家族をつくり遊びにも行き、しっかり人生設計もしていただろうに。

 

楽しい思いは一度もなく、思いだすとただ辛いく苦しい思い出したくないという風にしか今は思えない。私は単なるMというか何も知らず何も見えていなかった。

 

だけどその社長や会わせた元友人たちを恨んだところで今さらどうなるもないし、失った時間は取り返すことなどできない。

 

結局は自分の人を見る目がなく、ただ流されて決めてしまった、自分の選択が悪いということでしかない。

 

高校生の頃も、その後も思い出せないというか思い出したくもない。去年退職した会社も思い出したくない。なにかも思い出したくない。

 

私は過去の思い出がない楽しい記憶がほとんどない。思い出したくないという深層心理が私を短期記憶障害にさせ、現実逃避させているのだろうか。

 

今の自分は過去の延長にしかない。

 

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