yd’s blog

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自分を見失いどこかに置き忘れてしまったいつも孤独な男の blog

気分循環型障害、発達障害、友達いない、フラフラが止まらず挙動不審な40代のボッチが思ったことを書いてます。

創価学会員の会社で働いていた頃の話し


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もう若かりし頃の話だが、その頃も今と変わらず自分のせまい世界に閉じこもり、いつも浮かない顔をしていた。もう家を出て一人暮らしをしていたけれど、なぜか俺は一人暮らしをしている同級生のAとしょっちゅう会っていた。

 

その連れであるAから、母親が創価学会員で自分のところに学会の人が訪ねてきて、話を聞いているうちに自分も学会活動を始めることにした事を告げられた。

 

そしてある時、その自分のところに来た学会の人は、元ヤクザで今は学会の幹部で会社の社長をしていて、その人が悩みを聞いてくれるから会ってみてほしいと言われ、俺は気が進まなかったが、親友と思っていたそいつが言うならと会うことにした。

 

会ってみると、一見普通っぽい感じだが、小指がなかった。何を話したかはもう覚えてないけど、私が物心つく頃からやらされた日蓮宗は邪宗で、創価学会が正しい、お前の家がやっている日蓮宗が正しいならなんでお前がそんな風になっているんだ?というようなことを言われた。

 

その頃、創価学会のことを私はまったく知らなくて、その学会幹部の人間に関わってから池田大作をしり、創価学会が世間でどういう見方をされているのかということを知った。

 

それからその元ヤクザの学会幹部はなんどか私のところに来て、今思えば人の心に土足でズカズカ上がるこむような事を言われたけど、私には話が出来る友人はAだけで、他に相談できる相手もいなかったこともあり、簡単に信用して他人に言わなくてもいいようなこともペラペラ話してしまった。

 

今思えば本当に浅はかでバカだったと思う。バカなのは今もずっと同じだ。

 

でも結局、今にして思えば、親身になって心配して話をしているフリをして、実は本当の目的は部下であるAが連れてきた私を創価学会に入信させることが目的だったのだと思う。

 

あるとき、その学会幹部は、Aも俺のところでバイトしてるから、お前も俺のところで働けと言ってきた。

 

私はその頃、住み込みで働いていたので無理だったのだが、その幹部は私のバイト先の責任者に直談判しに行き、私が住み込み先からでていく段取りをとってしまった。

 

自分がなくて流されるまま、誘われるがまま、私はいちど実家に帰りそのあと幹部が用意した部屋に住むことになり、半ば強引にその創価の幹部が社長をしている会社に入ってしまった。


私は心ここに在らずで働いていたのだが、仕事をするにつれてその社長は本性を現した。仕事は肉体労働そのもので、休みは仕事がないとき。時給計算の安い給料で散々こき使われた。罵倒され、恐喝まがいなことも言われ、突然叩かれたこともあった。

時には深夜も働かされて、一体何時間働かせんだよと嫌気がさしても誰も逆らえなかったし今思えば本当に地獄のような日々だった。 

 

元ワルで自称いまは改心して信仰一筋に生きているって言っても、ヤクザで覚せい剤で捕まった経歴のある人間の性格自体がかわるはずもない。


俺は仕事中、その狂った社長にドライバーで頭をなぐられ、出血したこともあった。それも二度もだ。逆上して怒ると何をするか分からない。というか私は完全に舐められていたのだろう。

 傷害罪で訴えてもいいような目に俺は合わされた。

 

こんな糞会社に5年近くも働いてしまった。なんせこの社長に寮ということ社長が用意した部屋に強引に引越しさせられ、入居代や家具などは会社で建て替えたから返すことになっていたため借金を背負わされて、働かされていたのだ。

 

今考えても俺は完全利用されていた。その糞社長の手先となり創価学会に入り、くだらない座談会などに出て、糞みたいな選挙活動などやらされた。

 

その会社で仕事をしているときは毎日地獄だった。野郎だけのむさ苦しい連中で、金もなくて女にも一切縁がなくて、俺はその頃、性欲の解消のためにチャイエスと言われていた中国の本番エステによく通った。


結局、俺はなんとかその糞会社を抜け出したのだが、私は完全に利用された。本当に愚かだった。大事な時間をそんな糞野郎どもと糞な時間に使ってしまった。その糞に引き合わせた、同級生のAを俺は今でも許せない思いだ。

だが結局、私が糞だったからこんな輩に引きあわされて嫌な思いをしたのだと思う。

 

その会社を辞めて、お金がないくて私は結局また実家に戻って一からやり直すことになり、速攻で創価の脱会手続きを取った、それ以来、前の職場や学会員、それからAとは一切連絡を経っている。