yd’s blog

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自分を見失いどこかに置き忘れてしまったいつも孤独な男の blog

気分循環型障害、発達障害、友達いない、フラフラが止まらず挙動不審な40代のボッチが思ったことを書いてます。

日蓮宗を物心ついたときから信心するよう育てられた


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うちは父方の祖父の代から日蓮宗に入っており、

 

お爺さんは信心深い人で、父親もそれにならい、熱心な信者で毎日、仏壇にお供えをして題目を唱えていた。70過ぎた今でも毎日おこなっている。

 

そんな父親のもとに生まれたわけだから、私も物心ついたときから、お数珠を持って仏壇に手を合わせることを教えられた。寝る前に兄弟でお経も唱えさせられた。それが良い子と育てられた。

 

毎日、朝出かける時、帰ってきた時、行ってきます、ただいま、お休みなさい、仏壇に手をあわせて正座することが当たり前だった。

 

それをしないと、父親からうるさく言われ、怒られた。中学生ぐらいになると、習慣になっていたこともあるが、怒られるのが嫌で仕方なくやっていた。

兄弟たちも皆、従った。

 

お経も覚えるようにしつけられた。おばあちゃんから、長い題目の一つを覚えたらおこずかいをくれるといって覚えさせられた記憶がある。

 

戦後貧しい頃、入信した祖父は元々、宗教などは信じない人で、むしろバカにしていたらしいのだが、その日蓮宗をバカにしていたある日、火傷をしてしまい、火傷のあとと同じ箇所にアザのある子供が生まれたことがきっかけで、改心したそうだ。

 

それから、熱心に信仰をするようになり、その教えを私の父が守り、子供達にも引き継がせようということで、しつけられたわけだけど、現在の私は実家に帰った際に仏壇に手をあわせて線香をあげることはあれど、信者ではないし題目も唱えていなし家に仏壇もない。

 

今思えば、私は宗教を強いられたと思っている。高校生ぐらいまで、日蓮宗というのはうちの宗派しか知らなかった。

 

父からはお経を唱えたり仏壇に挨拶をするよう厳しく言われたが、なぜその宗教が正しいのか、南無妙法蓮華経はどういう意味で、日蓮さんがどのような教えを説いたのか、数ある日蓮宗の中でもなぜうちで信心している宗派が正しいのかなど、聞いた記憶が無い。恐らくその教団の教えというのはあるはずだろうに。

 

ただ、一方的にそれが当たり前で、そんな疑問すら抱くこと自体おかしく口にすることがタブー、神社や他のお寺で初詣など許されないキリスト教とか教会とか言語道断、そんな家庭で育てられた。

 

だが、私はその宗教でしか救われないとかその神様や仏様や教祖様以外は信じちゃいけないとか、そんなことありえないと思う。子供が何を信じようがそれはその子供の自由であり、それを親が強いるというのはしてはいけないことだと思う。

 

親が自分の親が信じた宗派を一途に守るというのは、ある意味尊いことなのかもしれない。だけど私自身はそんな親の姿を見てきながらも同じようにしたいと思わない。

 

親父からその宗派の教えをもっとしっかり教えていたら、こういう教えがあってなぜ、こうさせているのか、子供の頃からきちんと説明してくれていたら、このように多分今のようにはならなかったように思う。