yd’s blog

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分を見失いどこかに置き忘れてしまったいつも孤独な男の blog

気分循環型障害、発達障害、友達いない、フラフラが止まらず挙動不審な40代のボッチが思ったことを書いてます。

トラウマなのか、心ここにあらずになるとき


スポンサーリンク

自分には友人がいない。

高校ぐらいから孤立して2,3年の時には一緒に遊んだりする友人はいなかった。

 

だから、学生時代の友人に会って昔の思い出ばなしに

花を咲かせるといったことができない。これは寂しいことなのだろう。

 

小学生のときは外で遊ぶのが好きだった。

ドロケーや缶けり、ザリガニ釣り、ドッチボールや中当て、キックベース、野球やサッカーなど色々なことをして遊んだ。

 

だけど、いつしか人を避けてしまう自分になっていた。

 

友人がいないのだから、せめて親と兄弟は大事にしなければな、と思ったけど、友達もできないこんな自分になったのは、親や兄弟のせいだと考えて、二度と会いたくないと憎しみの感情が湧いてきてしまう。

 

訓練校では授業をだまって一方的に聞いているのだけど、おととい昔のことを思い出して苦しくなっていた。それは弟が大学生のとき、親からお金をもらって車を買ったことなのだが、

 

テニスサークルに入って、家庭教師のバイトをして、髪を伸ばして車を持ってサーフィンして、相当遊びまわっていたその弟は、結婚して起業して子供もできて、都内の一等地にある高級マンションに住み、毎年ハワイやシンガポールに行く何不自由のない裕福な生活をしている。

 

いっぽう自分は自分で車を買ったこともなく、友人もおらず、誰かに誘われたりすることも誘える人もおらず、精神科に通いまいにち薬を飲み、職業訓練校に行き、10万円の手当をもらう生活をしている。

 

ずっと変わりたい変わりたいと思ってきたのに、気付いたら、人から軽く見られ、ああいう風にはなりたくない、なっちゃいけないと思われるただの寂しい雑魚になっていた。

 

私はいまだに、高校の頃、地元のみんなが元チャリを乗るようになったのに、バイクに乗っては駄目だと父親から反対されたことで、ハブられることになり、異性や友達と遊ぶこともできず、恥ずかしい奴なったと恨んでいる気持ちが抜けない。

 

何もわかっちゃいないカタブツ親父の糞野郎と世間体を気にする母親、ヤンキーかぶれで向上心のないクソ兄貴、生意気なクソ弟、お前らのせいで繊細な俺は自分の首を絞めるように自分を人からバカにされるような人間にしてしまった。

 

自分の世界に閉じこもり、恥ずかしいとか感じる気持ちを殺した、自分を出すことを引っ込めるようになった。お陰で死ぬほど好きだった女からも笑われて離れていった。

 

十代には十代の時にしか感じられない感情や、そのときでしか楽しみないことがある。

 十代の多感な時期に自分の狭い価値観で、あれは駄目だこれは駄目だという親は糞だ。

 

でも、もう通り過ぎた現実はどう変えることもできない。ただ自分には何も残っていないという事実しかない。

それなのにいまだに、仕事中、授業中、心ここにあらずな状態になっているときは、このようなことで考えが支配されてしまう。

 

いまの私は、このような考えかたが自体が後ろ向きで恥ずかしく、きっと認知のしかたに問題があるのかもしれない。もしかしたら自分が間違っているのかもしれない。認知療法をうけた方がいいのかもしれない。

 

でもどちらにしても、ただ、いまの自分のように誰にも相手にされなくなるような寂しい人生は送ってはいけない。

 

とりとめもなくつづってしまった。